No more …

 「ノー・モア・ヒロシマ」と言うのはよく言われます。でも、誰が最初に言ったかと言うと、普通は知らないでしょう。ウィルフレッド・バーチェット と言う、イギリスの新聞社の記者だそうです。終戦後に広島に入り、原爆の被災地を取材したそうです。
 これを知った時は驚きました。イギリスと言えば、第二次世界大戦の事で、アメリカに大恩があります。そこの大手新聞社が、アメリカを非難するような記事を載せたとは、まったく想像していませんでした。もっとも、アメリカがそれを黙って見てるはずも無く、原爆は大規模爆発以外の影響は無いと宣伝攻勢をかけ、1946年のピュリッツァー賞で、原爆が無害である事を解説した記事が受賞しました(For his eye-witness account of the atom-bombing of Nagasaki and his subsequent ten articles on the development, production, and significance of the atomic bomb.)。ピュリッツァー賞はジャーナリストの最大の栄誉のように思っていたのですが、詳しい話を聞くと、けっこう泥にまみれた権威のようです。
 詳しい話は、こちらで。この「ノー・モア・ヒロシマ」の記事も、アメリカの検閲を逃れ、運良く掲載できた所だったようです。


http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2004/09/by.html


 さて、これを踏まえた上で、今日、こんなニュースがありました。


<長崎原爆>米記者のルポ原稿、60年ぶり発見 検閲で没収 (毎日新聞)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/war.html?d=17mainichiF0617m159&cat=2&typ=t
http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2005/06/17/20050617ddm001040002000c.html


 ウィルフレッド・バーチェット と同様、こちらは長崎を取材した方の記事なんですが、アメリカの検閲により行方不明となった原稿のコピーが見つかったと言うのです。良く見れば、最初のリンク先に、この記事の事が書かれています。
 見つかったのが、書いた本人の所なので、紛失したと思われていた…とありますが、あるいは公開しないように大きな圧力があったのかのしれません。


 どんな経緯があったのかは想像するしか無いですが、幻の原稿が日の目を浴びた事に、すごい感動しました。この事が、日本だけの話題に終わらない事を願います。